ちょっと私のことを・・・Ⅰ

9月ですね。強力な台風21号がやって来そうでちょっと心配です。

先日、東三条駅のリニューアルオープンのお祭りで演奏しましたが、共演のギターKさん、ベースFさんから私自身の音楽ルーツ等を聞かれました。
今までもミュージシャン、お客様等から時々質問されることが多かったのです。
いろんな楽器をとっかえひっかえ持ち出す怪しいヤツと思われるんでしょうね(笑)・・・

という訳で、まあここに書いても何ですが、ちょっと私のどうでもよい音楽事始め?を数回に亘り綴ってみます。

・・・


もうすぐ平成も終わろうとしていますが、遡る事61年余りの昭和32年(1957年)、厳冬の2月に石炭産業で栄えた北海道は砂川町(現・砂川市、札幌と旭川の中間くらい)にて私は生を受けた。
当日の気温は氷点下20度近かったそうで、そのせいかどうか中年に差し掛かるまでは寒さにめっぽう強かったと思う。今は全然駄目ですが…。
しかし、隆盛を誇った北海道の石炭産業も斜陽に差し掛かったころで、炭鉱夫であった父は三井系列の新工場へ配属となり一家6人揃って遥々と新潟市へ移住する事となったのです。その時私は生後4か月、つまり「赤ちゃん」。


プロフィールに北海道生まれとあるのは嘘ではないけど実際は正真正銘の新潟っ子である。
しかし、青森は津軽生まれの両親のもとに北海道で生まれた自身のルーツは確かに北方であると思う。有名な津軽三味線や民謡を始めとする津軽の芸風というのは自分の中に何となく受け継がれている気になっている(何様?)。
父親は民謡や流行歌以外の音楽には無知であった。至極当たり前だが、子供たちにピアノなど音楽を習わせるなどという気もお金も無かったので私は音楽の早期教育とは無縁の子供時代を送ることとなるのだが、しかし特に五所川原市にある母の実家はSPレコードや立派な蓄音機が有るなど音楽好きの家であったらしい。
そのせいで母も結構音楽は好きで当時の流行歌やタンゴなどもよく知っていた。
今年92歳になる母は健在。現在は演歌の「氷川きよし」と、プロ野球「読売巨人軍」の大ファンである。父は数年前に他界。


両親は故郷への想いも手伝い、後に津軽三味線を習ったのだが全くものにはならなかったみたい。
三味線相手に苦労しているところに、私がちょっと真似事で弾いただけでそれ風な音が出てしまい、両親特に父はガーンとショックを受けたらしい。
一時は酒に酔う度に真面目に津軽三味線への転向?勧められたものだ(父は事ある毎に私に「音楽なぞ止めて真っ当な職業に就くように」と説得していたけれど…)。


という訳で、昭和32年夏に新潟に越してきて社宅に一家6人で住んでいたが、特に父は新しもの好きで家電の新製品を近所の誰よりも早く入手して使っていた。テレビ、洗濯機、冷蔵庫、後に発売間もない電子レンジも(これは兄のSHARP就職のお蔭ですが…)。
その中にいわゆる「電蓄」つまり電気蓄音機?というのが有り、78回転のレコードも何枚か有って特にポール・アンカの♪You Are My Destiny(1958年)と♪Dianah(1957年)は幼稚園児だった私の何故か大のお気に入りで、椅子を足掛かりに電蓄へレコードを繰り返し掛けていたのはよく覚えている。

つまり私の直接的な最初の音楽体験はテレビ以外ではポール・アンカ(画像下)だったのだ!?

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続く・・・






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by bossaccordeon | 2018-09-04 12:22 | 私は誰なのか? | Comments(0)

肩こりアコーデオン弾きの日常メモ・・コメントご遠慮なくどうぞ(記事と無関係でもOK)


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