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ちょっと私のことを・・・最終回

簡単なお話にしようと始めた「私は誰なのか?」の連載もずいぶん長くなってしまいましたが、今回で最終回にします。少し長いです。



◆パリ・ミュゼットのCDアルバム(vol.3まで発売された)に大いに感化され、アコーディオンを再開する決心をした私。
まず新しい楽器を入手する必要に迫られる。

さて、この辺りもたった20数年前にしてはよく思い出せないのですが、まだインターネットも使っていない時代ですから雑誌かなにかで情報を仕入れたのでしょう。
以前購入したところではなく、何となく新鮮な感じを受けた「ビクトリア・ジャパン」というアコーディオン店(というか店舗は無かったのですが、)の、小林さんという方に連絡を取ったところ早々にカタログを送っていただいた。


そして1台のイタリア製ビクトリアの楽器を入手したのだ。それは37鍵盤で96ベースの中型、しかし4セットでHMMLという欲張りな仕様の楽器。


以前に持っていたエクセルシオールと比べるとだいぶコンパクトで軽いものだが独特の明るい発音で押し出しの強い良い楽器だ。
このアコーディオンは現在もレッスン(の時だけ…)で活躍中。


これに気を良くして、更に数年後には同じく中型では有るけれどチャンバー仕様のモデルや、大型の41鍵チャンバーモデルも購入した。


さて、代表の小林将宏さんとよくよく話をしてみると、アコーディオン輸入販売の仕事は退職後に始めたもので、以前は大手乳業M社にお勤めだったとのこと。
そして、何と、長期に亘って新潟市に赴任されていたということで話が盛り上がった。

そしてビクトリアの楽器を扱うよう紹介してくれたという彼の息子さんはアコーディオン奏者で、名前は「小林靖宏」という・・・!?


え~~~っつ!? コバヤシヤスヒロって?




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そう、coba さん!

cobaさんと私は2つ違い、3歳から新潟市に移り住んで中学2年までいたそうだから、10年以上の間、数キロ離れた場所で暮らしていたことになる。

知らなかったとはいえ、この不思議な縁は何なんだろう?

コバヤシヤスヒロの演奏を聞いてアコーディオンを止めた私が、
アコーディオンを再開するにあたって偶然にもコバヤシヤスヒロのお父様から楽器をお世話になるという・・・(笑)
しかも新潟つながりで・・・


ともかく、以降、新潟のヤマハでアコーディオンクラスを持ったりしたが、小林さんには発表会のサポート等、何かとお世話になりました。
数年前に惜しくも亡くなられた時にはもう演奏でビクトリアの楽器を使っていなかったこともあり、本当に何とも申し訳ない気持ちと惜別の念を抱かざるを得なかった。
cobaさんにも、間違って出場した(笑)全日本アコーディオンコンクールin名古屋(99年)の時や、2回出演したベローズラヴァーズin 名古屋、中部アコクラブ関連などでずいぶんとお世話になりました。


◆ちょっと寄り道してその間違って出演した名古屋のコンクールのことを書きましょう。

ビクトリアジャパンの小林さんから、
「名古屋でアコーディオンコンクールが有るのですが出場者が足りないので田中さん出てみませんか?」と。
(私)「いやいや適当な独学の私などがコンクールなんて・・・」
(小林さん)「全然大丈夫です。ちょっとした腕試しのつもりで気楽にどうぞ・・・」
(私)「はあ・・・それじゃ」

さて本番の名古屋の金山市民会館(だったかな?)。
私は42歳、今考えると若かったなあと思うけれども、当時はずいぶん年配の?出場者だと思っていた。実際シニア部門であったと思う。
自由曲は5分以内ということで、当時入れ込んでいたリシャ―ル・ガリアーノの「マルゴーのワルツ」を選択。
その前に初見演奏の課題があり(数曲からクジで選ぶ)、舞台上で初見課題曲をしばらく見てから演奏するのですが、この趣旨は「書いてあることを忠実に演奏すること」だったというのを後で知った(笑)
私はこの実質演奏時間30秒程度と思われる課題を初見で自分なりにアレンジを加えておそらく2分くらいの楽曲に「盛って」しまった。
講評でcobaさんから辛辣な一言をいただいたのは言うまでもない。

私はコンクールの終盤になって初めて自分が随分と場違いなところに居るということに痛いほど気が付き、結果を聞くを待たずにそそくさと会場を後にした。
(結果はシニア部門5位だったと後で聞いた。私が入賞しなかったのに不満を抱いた方々も居たことをあとで知ったけど、私自身は充分理解していました)

しかし、このときの課題曲をたまたま作曲したのが名古屋の今は無き山本楽器店主だった故・山本章さんで、山本さんは自分の曲が「音楽」になった私の演奏を観てえらく感激していただき、その後の名古屋の方々との縁が生まれるきっかけとなったのです。


・・・


◆さて、アコーディオンを再開して間もなく、私は行き詰った。
それはあれほど憧れて入手したパリミュゼットの譜面が弾けないから。

分かってはいたけれどパリミュゼットはほとんどがクロマチックボタン式アコーディオンで作曲、演奏されるので、ピアノ鍵盤式だと基本的に音域が足りず、速いパッセージも演奏困難なことが多いのだ。

1996年に小林さんの(というかcobaさんの…)紹介で訪れたイタリア・カステルフィダルドのビクトリア工房で、私をもてなしてくれた(本当に…cobaさんの絶大なお力です!)会長さん?(社長のお父様)のお話でも、コンクールを始め、ボタン式の有利さをかなり説明されましたし、パリでもアコーディオンを置いてある店でボタン式以外の選択肢が少ないことに気付く。

意を決して99年に小林さんを介してビクトリアのボタン式のそこそこの楽器を購入。もちろん高額なので41鍵の楽器を売っての結果です。

しかし何といっても相変わらず独学。なんとか弾けるようにはなりましたがまだまだ切り替える決心がつきません。

・・・

◆1999年に新潟のジャズミュージシャン3人で結成したアコーディオンも取り入れた「アタジーン」というジャズトリオで初のCDアルバムを発売しましたが、タイミングよく新潟市と友好都市提携(現在は姉妹都市)を結んでいたフランスのナント市との文化交流の一環で、ナント市から、同市で開催されている国際ジャズフェスティバルに、新潟のアタジーンを呼びたいという思ってもみなかったお話をいただき、翌2000年夏にフェスティバルに日本から初出演を果たすことになりました。

大舞台で何とか2回のコンサートとジャムセッションのホストを受け持った帰り際のパリで、以前から気になっていた「アコーディナ」というハーモニカにボタン式の鍵盤を付けたような楽器を注文しようとパリ郊外のモントルイユにあるアコーディナを作っている工房で注文、
4ヵ月ほどかかって楽器が届いたときは本当に嬉しかった。

この楽器は手に持って吹くので結構気軽にボタン配列を練習することができ、2年後の2002年に意を決してアコーディオンをボタン式に持ち替えた。
以降、絶対に鍵盤式を弾かないと自分を戒めていたので、当たり前ですが最初は本当に苦労しました。
いきなり何処かの企業のパーティーで披露することになりましたが、冷や汗をしこたまかいたのを覚えています。

そしてこの時点で弾いていたビクトリアの楽器は所謂イタリア式インターナショナルの楽器で、パリミュゼットで使われるフレンチタイプの楽器に再び転向するべく2006年に上記、名古屋の山本楽器に注文したのが初のフレンチタイプPIERMARIAの楽器でした。
パリミュゼットの素早いパッセージが音色も含めてそれらしく弾けるようになった喜びは大きかった。

以降、基本がフレンチタイプのアコーディオンです。
HPの楽器紹介ページに載せていますので興味がございましたらどうぞ⇒ https://bossaccordeon.jimdo.com/instruments/

日本でボタン式のアコーディオンを弾いている奏者は近年増えてきましたが、ジャズ系ではフレンチを使う奏者は少ないと思われます。

そして現在はより小型の楽器を鳴らすということに興味が移ってきています。
この辺りもこのブログの「アコーディオン」カテゴリで綴っています。

おそらく今後もこの方向性は失うことなく自分なりの理想を求めて「余生」を全うしていきます(笑)


長らくこのカテゴリにお付き合いいただいた読者の皆さん、ありがとうございました!
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by bossaccordeon | 2018-12-02 23:20 | 私は誰なのか? | Comments(0)

肩こりアコーデオン弾きの日常メモ・・コメントご遠慮なくどうぞ(記事と無関係でもOK)


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